創建時期は不詳なるも、1200年から1300年頃(前北条氏の時代)京都祇園牛頭天王社を信仰するものが、この地に分社を勧請したものと考えられる。応永10年(1403)の梵鐘が現存しているのでそのときには間違いなく存在していた。
爾来、天王社(お天王さん)と呼ばれ沼部村の鎮守として信仰を集め親しまれてきた。
「新編相模国風土記稿」によればご神体は行基菩薩作の木造で、高さ1尺4寸3分(約47センチ)と伝えられる。
天正19年(1591)御朱印状により社領7石を賜る。
慶応4年から明治元年の太政官布告「神仏判然令(神仏分離令)」により京都の祇園牛頭天王社にならい天王社から現在の社名とした。
明治6年(1873年)村社、大正5年(1916年)神饌幣帛料供進社に指定された。
また神仏習合時は大蔵院と称する別当が常駐し、その庵を祇園山天王寺と呼んでいた。大蔵院は小田原玉滝坊(神奈川県央以西の19寺社を配下にもつ有力な修験坊で、一時は県内最大の修験場八菅権現=現八菅神社をも支配していた本山派=天台宗の有力修験集団)に属し、毎日般若心経・大般若経・法華経などの神前読経に努めていた。その後別当は、神仏分離を機に神職となり、引き続き神社に奉仕されたが、明治年間に退去された。
沼目の地名は、倭名鈔では奴末倍(ぬまぶ)とあり、もともと沼部村と称したが、天正19年当八坂神社に対する御朱印状に沼目村と記載されていたため、村名を変更した。
社宝として応永10年(1403年)の県指定重要文化財の銅鐘が1基ある。
社殿は入母屋造二棟一宇116平米。