きたむきいなりじんじゃ
兵庫県西宮市松原町11
このあたりは「都努の松原」と呼ばれる白砂青松の海岸で、入り込んだ入江によって天然の良港「務古水門」として栄えた土地です。大和朝廷は、大陸から様々な技術者を積極的に日本に招き、先進の技術を取り入れよう..
このあたりは「都努の松原」と呼ばれる白砂青松の海岸で、入り込んだ入江によって天然の良港「務古水門」として栄えた土地です。大和朝廷は、大陸から様々な技術者を積極的に日本に招き、先進の技術を取り入れようと活発に交流を重ねていました。 その中には、「漢織・呉織」という機織の技術者たちもいました。日本書紀には、漢織(あやはとり)と呉織(くれはとり)について、「武庫の水門に着き池田の里に至る」と記されています。 言い伝えでは、漢織と呉織は、応神天皇の勅命を受けて大陸に渡っていた阿知使主に連れられて日本に渡ってきた工女だといわれています。このとき渡ってきたのは兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)・呉織・漢織とよばれる4名の工女で、一行のうち兄媛は胸形明神の要請によって九州・筑紫潟の地に留まります。そのほかの工女たちは、長い航海の末に務古(武庫)水門に到着しました。 そのとき船を繋いだ松を「漢織呉織の松」といい、その木の下の池の清水を汲んで糸を染め、機を織ったためこの池のことを「染殿池」と呼ぶようになりました。これらの言い伝えは「染殿町」「津門綾羽町」「津門呉羽町」などの地名に残されています。
織姫大明神・光玉大明神・宇賀之魂
兵庫県史蹟:漢織呉織松・染殿池
阪神電車西宮駅下車、東へ徒歩10分
無料
近隣に有料駐車場有り