大梵帝釈天
庚申山の由来
昔この山には、積善寺という多くの堂塔僧坊をも、楼門を構えた大寺があったが 天正10・(1582年)高松城水攻の時、毛利の勇将吉川元春がここを陣所としたため、そ の兵火によってことことく焼失したと伝えられている。
その後度々復興を企てられたが、元禄4年(1691年)に至り本隆寺の住持日正が新たに 堂宇を建立し、大梵天王、帝釈天王、及び鬼子母神奉衵して、庚印祭を行った。それ 以来、霊験あらたかな日本三大庚印の一として広く世に知られるに至ったのである。
この山の眺望は眼下に全国第4位の造山古墳かあり、東方には吉備津神社の鎮座する 吉備の中山が連なり、遠く児島の金甲山一帯か展望される。また、足守川を隔てて 高松城水攻の跡を俯瞰することができる。