りしょうじ
東京都杉並区永福3-56-29
当寺は法華宗法真山理性寺といい、本尊は十界諸尊の曼荼羅です。 『御府内備考続編』によれば、当寺は承応三年(一六五四)、大久保越中守忠辰・忠陰兄弟が両親の忠当夫妻を開基として、その菩提のために創立した..
当寺は法華宗法真山理性寺といい、本尊は十界諸尊の曼荼羅です。 『御府内備考続編』によれば、当寺は承応三年(一六五四)、大久保越中守忠辰・忠陰兄弟が両親の忠当夫妻を開基として、その菩提のために創立したものです。 寺名は、夫妻の法名、法真院殿・理性院殿に因んで法真山理性寺とし ました。
創立にあたっては、内藤新宿四谷大木戸(現新宿区新宿一丁目付近) に、大久保家下屋敷の名義をもって草創し、後に老中久世大和守広之の 許可により、境内地として使用することになったと伝えられています。 現在地に移転したのは大正三年(一九一四)です。 境内の左手には大黒殿があり、中には「火伏せの大黒天」と呼ばれる 高さ約十二センチメートルの木彫りの小さな大黒天が安置されています。 この大黒天は、高祖日蓮の作と伝えられ、お経の「経」の字を形取っており、寛政六年(一七九四) 御殿医木村検校によって奉納されたものといわれています。 「火伏せ」の由来については、当寺が新宿に在ったころ、近隣火災の 折、大黒天が大団扇をもって現れ、類焼から守ったことによると言われています。 以後、火伏せの守り神として今も、甲子の日に「大黒天甲子祭」が行われています。 墓地には、戯作者伊庭可笑・幕府医官林恒斎・初代杵屋三五郎の墓等があります。
法真山
法華宗
陣門流
1654年(承応3年)
十界曼荼羅
実成院日充
大久保忠当夫妻(名目上。実際は子の大久保忠辰・忠陰兄弟)
京王電鉄井の頭線西永福駅から徒歩で約2分