たかつかいなりじんじゃ
福岡県福岡市東区香住ヶ丘7-1-22
神功皇后が、御島で神託を問い片男左に上陸後休憩した地で、ここから(山越えして)鎧坂、浜男の順に香椎の大本営へ行かれたという言い伝えがあります。また、この付近から御島神社へ船で向かったとも言われてます..
神功皇后が、御島で神託を問い片男左に上陸後休憩した地で、ここから(山越えして)鎧坂、浜男の順に香椎の大本営へ行かれたという言い伝えがあります。また、この付近から御島神社へ船で向かったとも言われてます。大正13(1924)年、実業家、政治家の4代目 太田清蔵氏が福岡市と粕屋郡の有識者及び地元有力者の協力を得て、稲荷社を祀ったのがこの高塚稲荷神社です。当時、一帯は一面の白砂青松の海岸で、松林と丘の間は沼沢地帯でしたが、霊験あらたかとして特に初牛の日には参拝者の列が香椎方面から続き、自然に一本の細道ができていたといわれています。
産土神と稲荷明神
高塚神社
境内にスペースはありますが、車が停めてあります。
ありません