えんかくじ
京都府京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町58
前身を「水尾山寺」と号した京都市右京区嵯峨の山中の限界集落にある浄土宗寺院。 創建年や開山は不明であるが清和天皇との繋がりが深く、水尾川の谷を挟んで清和天皇陵と相対している。 清和天皇は山城国や..
前身を「水尾山寺」と号した京都市右京区嵯峨の山中の限界集落にある浄土宗寺院。 創建年や開山は不明であるが清和天皇との繋がりが深く、水尾川の谷を挟んで清和天皇陵と相対している。 清和天皇は山城国や大和国、丹波国や摂津国などを行脚する中でこの水尾の地を自らの終焉の地と定め譲位後に入山する。 しかし里人が上皇のために新しい仏堂造営をしようと嵯峨の棲霞観(現清涼寺)に院を移したが体調を崩してしまう。 その後、粟田山荘の円覚寺で急変して崩御され、粟田山で火葬が行われて水尾の地に陵が造立された。 応永年間に粟田円覚寺が廃寺になると、水尾の集落の清和天皇への帰属意識から水尾山寺が由来を継承して再興し現在に至っている。 延宝7年(1679年)5月5日の水尾大火に際して経蔵もろとも焼失していて詳細な記録は残っていないが、現在の本堂は安永5年(1776年)3月9日の再建であり、播磨国三木村の大工佐兵衛が造営にあたったとされている。 水尾には円覚寺の他に念仏寺・大徳寺という2寺が存在しており、清和天皇の祭日には円覚寺に他の2寺の住持が集まって祭礼を行っていたらしいが明治初頭にどちらも廃寺となり、それぞれの御本尊は円覚寺御本尊の両脇に祀られている。 清和天皇陵は桃山陵墓監区の管轄ではあるが山間部にあるため、円覚寺御住職が管理を委託されている。
粟田山
浄土宗
不明
薬師如来
志納
寺院前に駐車可能