ほんちょうじ
滋賀県大津市札の辻3−19
当寺は昔、等覚院という天台宗延暦寺の里坊として、元滋賀郡東坂本村にあったが、永禄年間に院主は法華経の主眼は本門にあることを悟って、秘かに京都六条本圀寺に登り、高祖日蓮聖人の教法の奥義を研鑽してのち法..
当寺は昔、等覚院という天台宗延暦寺の里坊として、元滋賀郡東坂本村にあったが、永禄年間に院主は法華経の主眼は本門にあることを悟って、秘かに京都六条本圀寺に登り、高祖日蓮聖人の教法の奥義を研鑽してのち法華宗に改宗。 永禄5年(1562年)、本圀寺と信仰壇越の応援を得て坊を東坂本村から下西八町(現在の札の辻)へと移して妙光山本長寺と称した。 開基は等覚院日荘上人、法華宗へと改宗する際に本圀寺より高祖日蓮聖人直作と伝わる大黒天像を賜る。また客殿には坂本より移した丈三尺の釈尊像を奉安している。 開基日荘は元和元年(1615年)8月1日88にて示寂。本圀寺はその法功に報い中本寺の格式を授け、境内空き地に尊如坊・円洞院の2ヶ坊を創設するも72年後の宝永5年(1708年)8月22日、維持が困難となったためか両坊とも廃院。代わりに高祖日蓮聖人が叡山遊学中、寄居された下阪本・光長山蓮聖寺、大津代官小野五郎八立慶の実弟僧、感応院日安上人が建立開基した大物(旧木戸町)・林秀山長栄寺、慶長年間に蓮乗院日栄上人が創建した膳所中庄・妙福寺の末寺3ヶ寺を賜る。現在本末制度は解消されたが3ヶ寺とも寺門経営に尽くし、法燈絶える事なく今に至る。 元来叡山付属の小庵であり無檀家であったが、等覚院日荘上人の改宗に伴い大津坂本地方の有力者に多くの信者を得て、檀家として当寺の建立に尽力。そのため文禄以降、承応・明暦に至る約100年勧の壇越は大津代官である小野氏と石原氏、大津枡屋町(現在の大津市浜大津二丁目)で医師をしていた圭刀界の泰斗・江左尚白氏と武家門閥、名家、有力者が多く連なる。 境内には、妙見宮・大黒堂・清正公大神̪衹・龍光大明神・妙隆善神・秋山慈運霊神・浄徳善神・地蔵菩薩を祀っている。 (妙光山本長寺略歴より引用)
妙光山
日蓮宗
永禄5年(1562年)
三宝尊
等覚院日荘上人
宝永5年(1708年)
無し
無し※近所にコインパークあり
有り