鎌倉七太子の1躯を伝える光明寺は、相州鎌倉郡山ノ内庄本郷上之村門見ヶ谷 (現横浜市栄区上郷町) にあり、梅沢山仙福院と号す。往古は聖 徳太子の寵臣秦河勝の草創である同郷小菅ヶ谷出 立川仙福寺(現本郷台駅の辺)の遺蹟である。当初は法相宗。その後、天台宗。安貞年中、親鸞聖人、北条修理亮時氏の願により『一切経』校合の折、当寺の前身である仙福寺第 52 世了恵は、その列に預かり親鸞聖人の御弟子となり、法名を「了 心」(第1世)と改め真宗の開基となる。当寺に伝 わっていた親鸞聖人自刻と伝えられている鎌倉七太 子の1躯は、現在、残念ながら諸事情により、会津 の寺院へと流失してしまったようである。