みやもとじょう
千葉県南房総市富浦町大津用害
宮本城は里見氏2代・里見成義(義成)によって稲村城の支城として築かれたとされる城です。成義の三男である実堯が城主を任されと伝わります。1533年(天文2年)に起きた里見一族の内紛「天文の内訌(稲村の..
宮本城は里見氏2代・里見成義(義成)によって稲村城の支城として築かれたとされる城です。成義の三男である実堯が城主を任されと伝わります。1533年(天文2年)に起きた里見一族の内紛「天文の内訌(稲村の変)」で敗死した4代当主・里見義豊はこの城で育ったとされます。また天文の内訌を経て5代当主となった里見義堯が一時期居城としていた可能性も指摘されています。現在城址には土塁や堀切のほか、竪堀、土橋、また石積みなどの遺構が残っており、戦国時代末期まで改修されながら使用されたと思われます。